事業を起こす意義とは、何か?

子供の実業家
子供のように感じ、大人のように思考せよ

終身雇用の終焉は、何を意味するのか

時代は変わりました。2019年5月、自動車業界トップであるトヨタ社長の「終身雇用を守るのは難しい」という発言が発表され、実質的に「終身雇用制度の崩壊」が明言されました。会社勤めをしていれば安泰、という時代はとうに終わってしまったようです。

なかなか、終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた


「終身雇用守るの難しい」トヨタ社長が“限界”発言(19/05/13)

個人主義が確立され、個人の尊厳が保障される代わりに、個人が主体的に生きることが求められる時代になりました。個人の力が大きくなる分、自己責任が重くなっています。権利は保障する、その代わりに自分の頭で考えろ、自分の力で立て、と求められる空気が強くなっています。

AR、VR、AIとの会話。人類はどこへいくのか

宗教、哲学の思考が希薄になった現代、精神的な支えを失った人々はAI(人工知能)を頼りだしています。人類の未来を創造するはずの研究期間で、下記のような本末転倒な議論が行われています。

同チームは、AIがますます複雑になるにつれて、「複雑さのもたらす困難」、すなわち精神障害の犠牲になるケースが起こりうると考えている。

AIにも「心のケア」が必要に–米大学が心理療法の応用を提案

当然ながら、AIに心はありません。プログラムした通りに動きます。ですから、的確な指示を出せば、欲しい時に欲しい言葉をかけてくれるでしょう。思うようにならないのが、人の心というものです。ピグマリオンの神話のように、現実がままならないことで、人工的に創り出した仮想現実の中に、心の癒しを求めてしまうのでしょう。私は事務的な、機械的な作業にAIを活用するのは大賛成です。しかし精神の未熟さを放置して、作為的な人工物で一時的な慰めを得ていては、心は一向に解決されないままです。にも関わらず、心の問題をAIで解決することに、躍起になっている研究者もいるほどです。人類はどこまで迷走したいのでしょうか。
ままならない現実と向き合って、頭をひねり、心を振り返って、現実の中で自分を表現していくのが、人というものではないでしょうか。人と人が関わっていく中で、生まれていくのが社会であり、ともに創り出していくのが時代ではないでしょうか。
これから人類は何をAIに委ねて、何を投げ出してしまうかわかりません。AIに委ねられた未来は、誰にも予測不能です。

人々の心が殺伐としている

混雑する都市部、殺人的な通勤ラッシュ…これは私も経験かあることで、まさに「心を殺して」「お互いに殺気立ちながら」すし詰めの車両に乗り込み、それが毎日続いていると、だんだん心が死んだようになっていくのを感じたことがありました。

精神的な価値に軸を持たない世界は、朝令暮改を急ぐように、変化は激しさを増すばかりです。
大企業であろうとも、これからどんな変革が起こるかわかりません。広く見栄えの良いオフィスに、正社員は片手で数えるほどしかいないのを、これまで私は何度も目にしてきました。大樹に集って、その陰で生きられる時代でなないのです。

「ストレスは、溜まって当然のもの」という風潮を感じることはありませんか? 私はこれは嘘だと思います。ストレスの大小はありますが、溜まって当然ということはありません。血行を良くするために、運動をする習慣が大事なことは理解できますが「溜まったストレスはスポーツで発散しよう」この認識には誤りがあると思っています。人それぞれ体力の全量は異なります。運動で発散して、睡眠で回復できる人と、運動する余力がない、運動すると疲れて寝込んでしまう人がいます。そこまで無理をして運動で発散しなければならないほど、ストレスを溜めて我慢しなければならないのでしょうか?
私は体力がない方です。時々好きなアーティストの激しいライブに参加して、ストレスを発散していた頃もありました。しかしそれは現状への不満から目を逸らし、状況を変えるための力とエネルギーを消耗していただけで、何の解決にもなりませんでした。お金もかかりました。何かがおかしい、何か違うと気づいて、激しいライブを見に行くことはやめました。

「都会に出なければ仕事がない」は本当か?

「都会へ行かなければ仕事にありつけない」人々が、この国にはどれほどいることでしょうか? 果たしてそれは本当でしょうか?
本当は、ただそう思い込んでいるだけ。そこで思考停止しているだけではないでしょうか?

人間の性質、心理として「あるものは限られている」と感じるのは、生産性が低かった過去の時代のものです。今はいくらでも創り出すことができる時代です。仕事も「限られている」と思うから「奪い合わなければ」と考えてしまう。「奪い合う」のは資源が乏しかった、例えるなら原始時代のようなことです。マンモスが一頭しかいない。二つの集団がそれを狙っている。という状態です。現代はもっと、しなやかに生きることが求められています。相手はマンモスではありません。人は何を求めているのか? 必要としているのか? 人のニーズが対象となります。できるだけマイノリティー、少数派の困りごとを、一つ一つすくい上げて、まんべんなく人々が幸せな世界を目指していくことが、これからの社会では大切になっています。
自分の生活のために、しっかり利益は得ていく。社会のためになろうとする、精神は奉仕だけれど、ボランティアではない。それが仕事だと思います。本業とする仕事でしっかりと生計を立て、生活の基盤が整ってこそ、ボランティアとして尊い活動ができます。仕事はボランティアではありません。

日本には「謙譲の精神」があります。本来は相手を尊ぶ、尊い感情です。しかし今の日本では、その精神が正しく受け継がれていない。自尊感情がどこかへ置いてきぼりになっているように感じます。
日本では「自虐」の表現が受け入れられやすい傾向にあるようです。「自虐」し合って「いじり」合って、それがコミュニケーションになるという考え方です。しかしこのあり方のために、いつまでも自分をどろ沼に置いておき、いつまで経っても状況を打破できない人々がどれだけたくさんいることでしょう。言葉はそのまま、その人の人生の表現です。私はもっと大事にしていただきたいと思っています。
「謙譲」は相手の尊厳を尊ぶために、一歩引く考え方です。そのような行いができる、精神を受け継いだ己もまた尊いのです。このことを思い出し「譲り合う心」を活かしながらそれぞれの得意な能力を発揮して、日本の伝統的な美しさを再現していくことが、大事ではないでしょうか。

仕事がなければ、創っていく。地方で、地域で。国内で。力を合わせて乗り越えていく精神が、今求められています。

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